2007年2月25日 (日)

話しのスタートは1582年から

このカテゴリーでは、コーヒー豆がどのようにして伝わり、世界中で飲まれるようになったのかを書いてみたいと思います。実はこのテーマのブログを昨年スタートさせて途中まで書いていたのですが、今回改めてこちらのコーヒー教室に移します。

さて、私たちは学校教育で日本史と西洋史を別々に教わりました。 そんな歴史教育をする国は珍しいそうです。 歴史を学ぶとは、日本と世界をリンクさせて同時に学ばないとなかなか掴みづらいものなんです。

そこで、ひとつのキーワード≪コーヒー≫からどんな歴史が見つかるか。

そんな実験として、私のネット店のお客様に読んでもらうメルマガに連載を始めたんです。題して『コーヒーの伝播を追って世界と日本の歴史を訪ねる』

このテーマに沿っていろいろ調べているんですが、自分でも面白くて夢中になります。


話しのスタートは1582年から。
普通はコーヒーの伝播を話すスタートは、やはりコーヒーノキが見つかった頃からの話しですすめるのですが、ここではちょっとひねってスタートを1582年とします。

実はこの年にドイツの医者であり植物学者のレーオンハルト・ラウヴォルフという人物が3年間ほどオリエントを旅行して帰ってきて報告記を書いてます。

その中で、オリエントのイスラム社会で飲まれてるチャウベと呼ばれてたコーヒーの話を初めてヨーロッパに伝えたとされてます。 つまり、ここからイスラム社会だけでなくキリスト教社会に伝わり、さらに世界中でコーヒーが飲まれるようになった一つの切っ掛けでもあります。


では、その頃この1582年に、日本では何があったか? そんなことも見ていきましょうか。

その年の6月に織田信長が本能寺の変で死亡しました。
そして一方、九州のキリシタン大名が4人の少年を遣欧使節団としてローマ法王に謁見させるべく旅立たせているんですね。 日本も世界に目を向け始めた時期だったんですね。


それでは、その頃のヨーロッパはどんな情勢だったのかと調べると、ポルトガルとスペインが1580年に併合し、大型船をつかって新世界を探す大航海時代の真っ只中。 ポルトガル人やスペイン人が船で世界中を駆け巡り、キリスト教の布教活動(如いてはヨーロッパ世界の拡大)が行われてます。

ヨーロッパでは、この時代の飲み物といえばアルコール一辺倒でしたから、この後にコーヒーを知ったということはヨーロッパ社会を大きく変えた要因でもあったんですね。

こんな風に芋づる式に調べていきますと、世界が見えてきて面白い発見が次々と出てきますので、乞うご期待ください♪

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1582年ごろの世界の飲み物文化

先週の日曜日には東京マラソンに出場してフルマラソンを走ってきたので、今日の休日は家でおとなしく読書してます。そんなわけでブログも連続投稿! ・・・といっても、このコーヒーの伝播話しは以前書いた内容の焼き直しでもあるので楽チンなわけです。^^

さ、それでは、さらに≪コーヒー伝播≫の話しを進めていきましょう。

オリエントの飲み物であったコーヒーに関心を向けた1582年頃に、嗜好的な飲み物としてヨーロッパの貴族や富裕層の人たちは何を飲んでいたのでしょうか

実はこの時代は、嗜好的な飲み物文化が大きく3つの世界に分かれていたんです。
その3つの世界を簡単に整理してみましょう♪

・イスラム社会
オスマントルコの中心都市であったコンスタンチノーブル(今のイスタンブール)で世界初の珈琲ハウスができたのが1554年と言われています。 イスラム社会ではコーランの教えでアルコールを禁じられていましたから、同じイスラム社会であるエジプトのカイロやシリアのダマスカスなども≪コーヒー≫が多くの民衆に嗜好飲料として飲まれ始めていたのです。

・キリスト教社会
一方その当時のヨーロッパでの飲み物は?・・・・といいますと、 キリストが最後の晩餐で12人の弟子たちと食事をしたときに『パンは私の肉体、そしてワインは多くの人の罪の許しを願うために流す私の血』だと話して分け与えたことから、修道院などでせっせと造られ嗜好的な飲み物として広まったのがワインです。
そして、ワイン同様にヨーロッパではアルコール飲料が人気を集め、アルコール三大飲料としてビール、シードル(りんご酒)も飲まれていました。
フランスでアルコールを飲ませる店として「キャバレー」と称される店が広まったのが13世紀ですが、ヨーロッパの街中には一杯飲み屋が大繁盛してました。

ですので余談ですが、ヨーロッパにカフェ文化が広まり始めたときに婦人たちは喜んだんですね。 飲んだくれの男性陣が減ることと、家に閉じこもっていた女性たちもカフェなら出入りすることが許されるようになるからなんです。


・アジアの儒教仏教社会
その点、日本ではこの当時に織田信長に贔屓にされた千利休のお茶の文化が始まってます。  ヨーロッパ貴族の酒池肉林に比べて、何も削るものがないところまで無駄を省いて、緊張感を作り出すという「わび茶」世界を完成してるのですから日本文化は凄い!と言わざるを得ません。^^  このお茶文化は中国を起源として、アジアの儒教仏教社会に広く根付いていったのです。

アルコールしか飲まなかったヨーロッパのキリスト教社会。
アルコールを禁じられてコーヒーを飲んだオリエントのイスラム社会。
アルコールもお茶も飲んだアジアの先進国儒教仏教社会。

この三世界に飲み物文化が分かれていたというのが面白いと思いませんか。

                   ではまた続きを、乞う ご期待♪ ^^ゞ

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2007年2月27日 (火)

宣伝用のコーヒー伝説

Arab1それではそろそろオリエントのイスラム社会で、どのようにしてコーヒーが飲まれるようになったのかを調べてみましょう。

ご存知の方も多いと思いますが、コーヒーの起源にまつわる話しは2つに大別できます。

一つは、”ある日、放牧していたヤギ達が笛を吹いても集まってこず、あちこち探してみると、赤い実をつけた木の周りで葉や実を食べて元気に跳ね回っていた。それを見つけたカルディが自分でもその実を食べたところ不思議な力を得て、もう2度と疲れたり不機嫌になることはないように思われた。その噂が広まり、エチオピアでは大切な木として扱われるようになった。”という「エチオピアのヤギ飼いカルディ」の話しですね。

この伝説は、ヨーロッパのキリスト教社会でコーヒーが飲まれるようになってから作られた宣伝用の話しなんです。中公新書「コーヒーが廻り世界史が廻る」によると、17世紀のナイローニという東洋学者が作った話らしいですよ。

なぜエチオピアが舞台かというと、この国は古くからアフリカで唯一のキリスト教国家で、コーヒーの発祥地として考えられていたからですね。そしてイスラム圏ではこのように話の中にヤギが出てくる伝説は見当たりません。

一方同じように、イスラム社会で作られた宣伝用伝説が「聖職者シーク・オマール」の話しです。オマールはモカに住んでいた実在の人物といわれていますが、13世紀もしくは15世紀初めの人ですから、それ以前の9世紀にアラビアの賢者とされるラーゼスがコーヒーノキの古い名称「バン」についての記述をしてることを考えると、モカ港がヨーロッパへのコーヒー交易の出荷港であったというコマーシャル説にやはり一票ですね。

”アラブの偉いお坊さんオマールが、メッカへ巡礼に出かける途中でモカの町へ立ち寄り井戸を掘ったら聖水が湧き出た。ちょうど流行り病がモカの町の人々を苦しめていたので、その聖水を飲ませて治した。その噂を聞いた土地の領主が娘の病も治してもらおうと数日間オマールに預けた。その後、娘は治って帰ってきたがオマールとの噂話しが広まり、怒った領主はオマールを追放した。弟子のウザブ達と山中で暮らしていたオマールは食べるものがなくなってきたときに、野生の赤い実をつける木を見つけ、実を食べたり茹でたりしていた。そのうちまた町中に流行り病が広がって、オマールのことを憶えていた人々が山中へ訪ねてきて乞うので、その果実を煎ってすり潰し黒い液体を作って「これはメッカの聖水ザブザブと同じ霊験ある飲み物だ」といって飲ませて治した。”という話しです。

なぁーんだぁ、宣伝用の話かぁ・・・とガッカリしちゃいましたか。^^
特に聖職者オマールが登場する話は、イスタンブールに世界初の珈琲ハウスが誕生してから凡そ30年後の1587年にシェーク・アブダル・カジが「アラビアの手書き本」の中で紹介した伝説ですが、その内容は少しずつ変えられていくつかのパターンに分かれて発表されたりしてるようです。

でも間違いなく、コーヒーノキの赤い果実に含まれてるカフェイン効果を見つけて珍重したことは確かです。その効果を最初に見つけたのは、やはり今のエチオピアに住んでいた原住民の人たちだったと思います。

ただし、その当時のコーヒー果実の利用飲用方法は少し違っています。 私たちはコーヒーノキの果実の種子を取り出して、煎ってから粉に挽いてお湯でコーヒーを淹れますが、そのような利用法は最初からあったわけではないんですね。

どのような方法で利用されていたかといいますと、現在でもエチオピアに住む遊牧民族のガラ族にその利用方法がみられますが、コーヒーノキの実を果肉ごと潰して、動物の脂を混ぜて団子状にして携帯食として持ち歩いたり、果実を煮出してその汁を飲んだりしてます。

そのような飲用方法は、イスラムの聖職者で最初にコーヒーノキのカフェイン効用を見つけたスーフィー派の僧侶達も行っていたのです。

この辺りの話しはまた後ほど話しますが、アラビア半島の南端のイエメン(あの美味しいモカマタリが採れる)では、今でもコーヒーというと種を取り出した後の外殻を煎って、ジンジャーやカルダモンの香料を入れて、砂糖を加えて煮出したものを飲んでいます。それはコーヒー豆が輸出用で、残りの外殻を国内消費してるわけでなく、外殻を使って淹れた「ギシル・コーヒー」のほうが人気が有るからなんですね。 その証拠に、イエメンでは一杯の値段は普通のコーヒーとギシルコーヒーは同じなんです。

                   ではまた。

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2007年2月28日 (水)

エチオピアからイエメンへ

コーヒーノキの最初の原木は、コンゴからエチオピアにかけての山岳高原地帯で自生していたと考えられていますが、いつの時代に誰が見つけたかという正確な記録文献は見つかっておりません。

Ethiopiaygf2 厳密にはアカネ科に属する熱帯植物の全てはコーヒーノキとしてみなされ多種に及びますが、美味しい実を付けるアラビカ種コーヒーは海抜800mから2000mの高地で育成します。

ただ例外的にエチオピアでは2800mもの高地でも育成し、カリブ海諸島やブラジルでは100mの低地でも美味しいアラビカ種が育っていますが、生育環境の原型としては熱帯の原生林が密生する山岳地帯なんですね。

そのような環境の中で、生息するオナガザルやジャコウネコ科のルアクなどの小動物や野鳥が赤い実を食べて、糞として種子をまき散らし自然伝播してきたと思います。

そのような自然伝播を考えたとき、これからの世界に向けてのコーヒー伝播出発点として、一つの大きな疑問に対する答えがなかなか見いだせないでいます。

それは、エチオピアと紅海を挟んで対岸にあるイエメンへは人間の手を経て移植されたのか、または野鳥が媒体となって伝播したのかの答えなんです。イエメンの在来種とされてるティピカ種とアラビカ種そしてモカ種は、世界中で生産されてるコーヒーノキの原種でもあるからです。

このイエメンという国は、あの有名なシバの女王で知られる古代シバ王国ですね。Photo
このシバの女王「マケダ」は、紀元前10世紀にアラビア半島南端から紅海を渡りアフリカのナイル川を北上してエルサレムのソロモン王を訪れ、ソロモン王との間に出来た子供が今のエチオピアの始祖メネリク1世だとされています

それほどにエチオピアもイエメンも古代から成立していた国家ですから、コーヒーノキの伝播を考えたときには、いろいろな想像をかき立てられますが、コーヒーノキそのものが注目されるようになったのはシバノ女王から2000年近くを経た紀元9世紀からの話しです。

                                 では、また次回をお楽しみに。

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2007年3月 3日 (土)

イエメンで飲まれるギシル

マーク・ペンダーグラスト著『コーヒーの歴史』の中で、6世紀にアクスム王国(現エチオピア)がイエメン地域に侵攻していた時にコーヒーノキが移植されたと書かれてました。

確かにこの6世紀は、キリスト教の東ローマ帝国とササン朝ペルシアとがせめぎ合っていました。東ローマ帝国はアフリカ側をナイル川を遡って、同じキリスト教徒国のアクスム王国の兵と共に、紅海を挟んでアラビア半島を侵攻してきたペルシアと戦った時期がありました。

アクスム王国の東アフリカ地域は、長い間主食となるモノは特になく雑食地域です。従って、コーヒーの果実を種ごとすりつぶして動物の油を混ぜて作った携帯食は、元気になるカフェイン効果と共に戦闘には欠かせないモノだったと想像できます。だとするならば、その食料の元であるコーヒーノキをイエメン地域での攻防の際に移植したと考えてもいいのではないかと思えます。

このイエメンでは、コーヒーの発祥地と言われるエチオピアのアビシニアン高原と同じ様な気候環境の山岳地帯があります。そして古代シバ王国の時代から、アラビア半島のパラダイスと言われるほどに緑の多い地域でもあったのです。

その後、アクスム王国は撤退したのですが、300年後にイスラムの偉大な医者であり天文学者であったラーゼス(852頃~932頃)が医学書『アル=ハーウィー』のなかでブン(コーヒーノキ)から得る果実とその飲料についての効用を述べてるのです。

Sufy そのことからコーヒーノキは野生化して忘れ去られることなく、イエメンで利用されていたと考えられます。ただし、その利用は一部の聖職者間でしか使われてませんでした。そして私達が飲んでます煎り豆飲料ではなく、生豆飲料だったのです

以下も私の想像ですが・・・・

昔の人が初めてコーヒーノキの果実を口にするとき、最初はどうやって食べると思いますか。
赤く熟したサクランボのようなコーヒーの実の話ですから、最初は当然ながらそのまま口に含んでガブリっと果肉を味わったと思います。

ところが、コーヒーの果実はサクランボよりも果肉が少なめですから、甘みはあって美味しいけど、なんとなく物足りない。

でも、そのコーヒーの実を食べるとみんな何となく元気になることを知ったので、残った種もなんとかもう少し他の方法で利用できないかと考えた。

そこで考えたのが、種の利用法として、果肉を皮ごと食べると、残った種の周りにはヌルヌルとゼリー状の粘着物が付いていた。

その部分が勿体ないと考えて、中の種を取り出して、ゼリー状の粘着物が付いた殻部分を干して、煮出して飲んでみた。

その飲み物が、今日でもイエメンで飲まれてる『ギシル』というものなんですね。
このギシルは、トルコ式コーヒーが伝わった後からなんと現在まで、イエメンではずーっとトルコ式コーヒーよりも人気のある飲み物なんです。 外殻を使うから安いのではないかと思うでしょうが、一杯の値段はトルコ式コーヒーと同じようです。

Gisiru1 『ギシル』の写真を見つけましたので、サイトの制作者に了解をえて掲載しましたのでご覧ください。写真左側の飲み物は紅茶のチャイですが、イエメンではシャイと言うようです。で、右側の色の薄い飲み物がギシルです。両方とも砂糖をたっぷり入れて飲むようですが、イエメンの乾燥した気候ではその極甘な味が合うようです。

                          ではまた、次回をお楽しみに。

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2007年3月10日 (土)

イスラム教神秘主義者スーフィー派

前回の伝播話しでは、イエメンのギシルという飲み物を紹介しましたが、イエメンではギシル以上に市民に飲まれてる嗜好品にカートというものがあります。

カートとは、カフタという木の葉を何枚も口に含み、その葉汁を口中にため込んで水と一緒に飲み込みます。
このカートはイスラム圏やアラビアでということではなく、珈琲豆の栽培国であるエチオピアとイエメンだけで飲まれてるということに注目していいと思います。

Sufy2 そしてこのカート飲用の起源を調べてみますと、イスラム教の神秘派と称されるスーフィーにたどり着きます。
イスラム教では眠ることなく夜を徹して祈ることがもっとも善なる宗教的行為とされ、スーフィーファは古くからこのカートを用いていました。

スーフィー派はカートのことを≪カフワ≫と呼んでいたが、それは宗教儀式の時に興奮剤として用いられる飲み物を指し、軽い白ワインも≪カフワ≫とされたときがったようだ。
そしてある時に、カートが不作な時があり白ワインもなくなり、エチオピアで知られていた≪ブン≫を煮出して飲んだとされる。Sufy4

このブンとはコーヒーノキの古い呼称であり、ギシルのようにコーヒーノキの果実を初めて煮出して飲用したのだと思われる
つまり、イスラムの聖職者の間で秘薬として飲まれていたのは、私達が飲むようなコーヒーではなく、ギシルだったと考えていいでしょう。

そうなると、今のコーヒーのように、豆を煎って粉にすり潰して茶色い液体として飲み始めたのはどこだったのかという疑問が残りますね。

その話は、次回をお楽しみに。

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2007年3月17日 (土)

茶色いコーヒーのスタートどこから?

私たちが飲んでるコーヒーは、いつ頃から飲まれるようになったのだろうか。

実はこれを正確に記録してる書物は、世界中探しても存在していない。多くのコーヒー関連書物は、この部分を曖昧にしているのだ。そんな訳でこの呪縛から解き放たれるためには、想像で乗り越えるしかない。

起源として想定される地域は、今のエチオピアかイエメンかのどちらかなことは間違いないだろう。だとすれば、茶色いコーヒーとして飲まれ始めてからまだ5-600年しか経ていないので、その飲み方が受け継がれて残っているのが普通だ。

Turkycoffee7 そこでイエメンでは、どんな風にコーヒーを飲むかと調べてみるとトルコのイブリック式抽出方法だ。このイブリック式抽出方法は、現在のシリアやエジプトでもみられる飲み方だ。

となると、イエメンからアラブ諸国に伝わったのかと思われるが、イエメンではコーヒーよりもギシルというコーヒー果実の皮殻を煮出した飲み物のほうが今でも人気がある。そのことを考えるとイエメンからコーヒーが伝わったとはどうしても私には考えられないのだ。 Gisiru1_1

ちなみに、イスラム神秘教のスーフィー派の聖職者がカファとして、カートやワインに加えて、当時はブンと呼ばれていたコーヒーノキの果実を使った飲み物バッカムを用いたときには、それはギシルのような皮殻を使って作った紅茶よりも水色の薄い飲み物だったと考える。

で、話を戻しますと、

では、エチオピアではどんなコーヒーの飲み方が伝わっているのか
ネットで調べると、エチオピアの首都アジスアベバでは喫茶店が沢山あり、とてもにぎわっているが、その飲み方はイタリアのエスプレッソだそうだ。 Photo_2

ところが、一般家庭ではエスプレッソでもなく、コーヒーメーカーやフィルターも使わずに、伝統的なジャバナというポットを使って淹れてます

その方法は、生豆を煎ることから始めて、煎った豆を砕いて粉末にした物を、水と一緒にジャバナに入れて煮立ててコーヒーを作ります。

大切なお客様をもてなすときには、このコーヒーを淹れる儀式のようなセレモニーを1~2時間かけて行い接待します。そうして出来上がったコーヒーは、イブリック式コーヒーと同じなんです。

ここで思い出すのが、トルコを旅行していたときに聞いた話だ。トルコでは、大切なお客様にはコーヒーを淹れてもてなすということ。そして、美味しいコーヒーが淹れられることは、いいお嫁さんとしての条件の一つになってるという話です。

ということは、エチオピアでコーヒー果実の利用法が更に進み、果実の種子を取り出して火で煎って粉にして抽出するコーヒーの淹れ方とコーヒーセレモニーが、何らかの切っ掛けでイスラム社会でも真似されて、伝わったのではないかと想像します。

つまり、こんな風な話しを結びつけて考えると、私の考えでは、コーヒーの果実から種を取り出して、煎って粉にして飲み始めたのは今のエチオピアの人だったと考えます。

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2007年4月10日 (火)

炭とは違うと判定されて

 これまでのあらすじを簡単に遡ってみましょう。Sufy7

イスラム神秘教のスーフィー派の聖職者たちが、ある時期からコーヒーノキから作られる飲み物を≪カファ≫として使うようになりました。

しかしその飲み物は、私たちが今日飲んでるような黒い液体ではなく、生豆を煮出したような飲み物だったんですね。

それでは、今と同じような煎って作られるコーヒーは、どこの地域で初めに飲まれるようになったのかと考えると、やはりコーヒー豆原産の発祥地であるエチオピアではなかったんだろうか、というのが私の推理です。

その根拠としては、エチオピアでは現在でも大切なお客様を接待するときに≪コーヒーセレモニー≫が行われ、煎り豆を使った独特な飲み方が伝わっているからです。

ここまでが前回までの話でしたが、このエチオピアでのコーヒーの飲み方がカイロの商人たちの目に留まり、イスラム社会の民衆に浸透して行ったと考えます。

つまり、一般に伝わるように、コーヒーノキから作られる飲み物をイスラムの聖職者が秘薬として用いたのは、確かに神秘教のスーフィー派でしたが、他のイスラム宗派にもスーフィー派と同じように宗教儀式の中でカファが用いられたということはなかったのです。 つまり、イスラムの全ての宗派がカファを用いていれば、メッカ事件での禁止令は出されることはないわけです。

そのことを前提にすれば、コーヒーの飲用は「イスラムの各派の聖職者→民衆」に伝わったのではなく、別の伝播が考えられます。

メッカでコーヒーの飲用が始まるころに、それを飲ませてくれる場所はイスラムの裏社Cafe2会で営業をしていた居酒屋だったのです。その当時は、公式にはアルコールを禁じていても、数は多くありませんでしたが、居酒屋があったんです。

コーランでアルコール飲料を禁じているイスラム社会ですが、騎馬民族系のオスマントルコ帝国が広範囲に国土を広げた時代に、コーヒーは広まります。それまで居酒屋ではワインを飲ませていましたが、カイロの豪商がエチオピアで見つけたスーフィー派聖職者が飲んでるコーヒーノキと同じ果実から作られる黒い液体の飲み物を売り広めたと推理します。

そんな場所で、コーヒーが隠れて飲まれるようになって、1511年にメッカ事件が起きます。

「最近、民衆の間で飲まれるようになったコーヒーは黒い液体で、その原料は≪コーランで禁じられてる炭≫と同じではないか」と言う論争です。

メッカの支配者カイール・ベイは禁止令を出しましたが、カイロで上司に当たるオスマン帝国のサルタンがコーヒー愛好家だったために撤回されたんですね。

Blusofya このようなお墨付きを得ることができたので、当時の居酒屋がアルコールに替えてコーヒーを扱い始めたものですから急激に繁盛し、たちまちにその数も増えてスレイマン二世の時代(1566-74年)にはイスタンブールに600件ものコーヒーの家である≪カーヴェハーネ≫ができました。Turkycoffee1_1

イスラム教徒が礼拝を済ませて、三々五々にカーヴェハーネでコーヒーを飲んで、地域の噂話や政治の話しなどに花を咲かせたんでしょうね。

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2007年4月21日 (土)

こちらのストーリーに必然性が!

前回は、いま私たちが飲んでるようなコーヒーを最初に飲み始めたのは、やはりエチオピアではないかと推論しました。

確かに、エチオピア人はブンを最初に食用として、ただ単に食べるだけでなく、発酵させて水を混ぜお酒としたり、すり潰して動物の脂を混ぜて団子を作り携帯食としたりしました。

ところが、それを今度は種を取り出して煎って粉にし、煮立てて飲んだ必然性は、どんなスチエーションが考えられるだろうかと思い巡らしました。

考えられるのは、果肉を食べた後に、口から取り出した種を火の中に捨てたら、焦げてきていい香りがしてきたので、取り出してその焦げた豆をかじったりしてみた。

そんな風なストーリーが考えられるが、どうもスッキリしない。

そこで、もう一度、神秘主義スーフィー派の聖職者が、ギシルのようなカフワを祈祷の際に用いた風景を想い描いた。

後にコーヒーノキと称されるアカネ科のブンという植物は、エチオピアのアビシニアン高原と緯度や気候環境が似てるイエメンの山岳地帯だけで育つ。中東地域の他のイスラム諸国ではブンは育たないし採れないのだ。 

そして、煮出して作るカフワの材料であるブンの果実は灼熱の中東では持ち歩くと腐る。・・・ならば、そのカフワはイエメンの地域にあるモスクだけでしか、用いられなかったことになる。

しかし、その効用を知ったスーフィーの僧侶達は、何とか他の地域のモスクでもブンで作ったカフワを使いたかったはずだ。

・・・だとするならば、カフワを作った残りカスの種子を持ち歩いたかも知れない。種子なら腐らないし、二番煎じで作られるカフワでもいいからと考えただろう。

もう一度、想像してみよう。

≪アデンのモスクでカフワを飲んで祈祷した貧しいスーフィーの僧侶が、メッカを目指す旅に出る。その際に、残りカスのブンの種子を貰い受け、旅先のモスクで生の豆を煮出してみるがその効用は得られずに、種子を火の中に捨てる。≫

そう!火の中に捨てれば、煎られて焦げてコーヒーの香りが立ち上る♪

そこで、もう一度焦げた豆を煮出してみると、こげ茶色のコーヒーができて、飲んでみるとアデンで飲んだカフワと同じ効果が現れ、香りがすこぶるいいことを知った!!

そうだ、これだ! これなら、ストーリーとして必然性が感じられはしないだろうか。

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2007年4月24日 (火)

苦くて不味い黒い液体

コーヒーはいつ頃からコーヒーとして飲まれるようになったのか。
そんな話しが延々と続く。

イスラムの信者は聖地メッカを目指す。結果、アラビア半島の東海岸中心に位置するメッカには多くの信者が各地から集まる。

アラビア半島の南端からやってきたスーフィー派の信者は、旅の途中でカフワを作った残りカスのブンの種子を火で煎って黒い液体を作ることを知った。

その飲み物は、すこぶるいい香りをするが、とてつもなく苦い。
苦くて不味いが、薬だからと思って祈祷をするときの飲む。
そんな飲み物だから、簡単に民衆に広まるはずはない。

それでも、スーフィー派の信者は寝ないで祈祷するので、その苦い黒い液体を用いた。ブンが採れない中北部のアラビア半島地域では、果皮を持ち歩くと熱さで腐ってしまうので残りカスの生豆を携帯して、宿泊先のモスクで豆を煎ってその黒い液体を作って飲んだのだ。

ここに、私たちが現在飲んでいるコーヒーのルーツがあると私は推論する。黒焦げになった豆を煮出して飲むことを考えつくのは、ギシルのようなカフワを飲用する習慣のあったスーフィーの信者だからこそだ。


そして、その黒い液体が民衆に広まるのは、カイロで砂糖との出会いがあったからではないだろうか

砂糖の歴史は古く、3200年前には既にインドでサトウキビから抽出した液が甘味料として使われていたことが分かっている。インドからペルシアに伝えられた砂糖はアラビア一帯で愛好され、砂糖を焼いて作る「カラメル」のようなさまざまな砂糖菓子がそこから生み出されていった。

その砂糖がインドからイスラム商人によって地中海の貿易都市カイロに運ばれてきていた。そして、苦いコーヒーと甘い砂糖とが出会う。


日本ではコーヒーに砂糖を入れて飲まないのが通のような雰囲気があるが、トルココーヒーもエスプレッソもたっぷりと砂糖を入れて飲む。世界のコーヒーの楽しみ方としては、砂糖を入れて甘くして飲むほうが普通なのだ。

このように甘い砂糖やお菓子と出会ったら、コーヒーの魅力は倍増する。
今風に言えば、スィーツとのコラボレーションだ。

そして、スーフィーの信者が飲むそんなコーヒーをイスラム商人が見逃すはずはない。どこで手に入れたのか、どんな場所で採れるのかと調べ、イエメンの山岳地帯で収穫されたコーヒーの果実を買い漁る。

そんな甘いコーヒーが、改めて聖地メッカにもたらされた。
そして1511年、預言者ムハンマドの誕生日の前日にメッカ事件が起きる。

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2007年5月 9日 (水)

メッカ事件とコーヒーの家

コーヒーの起源を探る上で欠かせない文献『コーヒーの正当性のために』の著者であるアブド・アル・カーディル・アル・ジャジーリーは、16世紀の初めにエジプトのカイロでスーフィーの僧侶たちが≪カフワ≫を飲んでいたことが確認されていると記している。このカフワが、若葉をかみ締めるカートはなくて、ブンの果実を使った飲み物だとしたら、それはギシルではなくコーヒーのはずだ。

17世紀になってコーヒーがヨーロッパに知れ渡り広まる過程をみても、その伝播に要する時間は急激だ。それと同様に、イスラム社会に於いても、その魅力が権力者や民衆に広まるのはアッという間のことだった、はずである。

スーフィーが黒くて苦いカフワを祈祷の際に飲んでいた。

そのカフワに、アラブの豪商が甘くて人気のある砂糖を入れて飲んでみたら、美味かった!その瞬間が、スーフィーのカフワが美味しい飲み物としてのコーヒーとして、イスラム社会に誕生したときだ。

豪商達はその新しい飲み物を王族や貴族にも薦め、アッという間に噂の飲み物となって広まっていった。そして、今度はスーフィーではなく商人の手によって、カイロからメッカへと逆方向に広まっていったのだろう。

巡礼者で賑わうメッカ。そのメッカにある宿屋や休憩場所の居酒屋風の食堂で、新しい飲み物のコーヒーが人気になって民衆に飲まれるようになった。

1511年、その噂を聞きつけたメッカの高官ハーイル・ベイ・ミマルは、幹部会を招集してその新しい飲み物コーヒー問題を討議させた。「コーヒーはコーランで禁止されてる炭と同じで禁止すべきである。」「いや、すべての植物は神によって人間の喜びのために創られたものであるから、基本的に認可されるべきだ。」 そしてそんな議論紛糾の末、コーヒーが人間の身体に害を与える飲み物かどうかの医学鑑定を行い、コーヒー弾圧を開始したのである。

ところが、その判定に不服のあるコーヒー鳩派の何人かがその議事録をカイロにいる上司のスルタンに送った。その時には、既にコーヒー愛飲家になっていたスルタンだから、直ちにこれを撤回し、弾圧指令を出したハーイル・ベイ・ミマルはその職を解かれた。

その後もメッカでは、公安・風紀を乱す恐れがあると裁判官からコーヒーハウスの営業を禁じられたり、カイロでも宗教狂信者による騒動などが起こって、コーヒーの支持者と反対者に分れ、コーヒーハウスが破壊されたりしたが、このような事件が起こるたびにプライベートな飲用を助長してきた。

そして、「トルコの世紀」とされる16世紀の半ばの1544年にイスタンブールで初めて「コーヒーの家」ができてから、わずかに10年後のスレイマン二世の治世下には、その数が600件余りとたちまちに増えたのです。

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2007年5月11日 (金)

甘い飲み物コーヒーの誕生

ここまで「コーヒーの伝播」話しを読んでこられた方には、コーヒーノキの果実が、アフリカのアビシニアン高原で自生しているのが見つかり、その食用が現地の遊牧民などによって古くから行われていたのに、なぜ?16世紀になるまで、コーヒーが世界中に広まる切っ掛けが遅れたのだろうかという疑問の答えがお分かりいただけたでしょう。

今のエチオピアであるアフリカのアビシニアン高原は、紀元前には、南アラビア半島にあるイエメン地域と共にシバの女王に治められた国でした。

このシバ王国の女王は、エチオピア山地を下りエルサレムのソロモン王に嫁いで、古くから地中海諸国との交易を行っていたアフリカの中で唯一の国です。その国民はあまり豊かな暮らしではなかったが、誇り高く、独立心の強い人々で、その大部分が修道僧さながらの正統派キリスト教信者でもあったようです。

ですから、もしコーヒーが当時から魅力的な飲み物として存在していたなら、これほど遅れることなく、ギリシャ・ローマ時代を経て広く世界中に広まっていたでしょう。

それが可能とならなかったのは、コーヒーが嗜好品ではなかった。美味しい飲み物ではなく、薬として、コーヒーがもつカフェイン効果が重要視された不味いものだったからです。

いや、ここで≪コーヒー≫と称するのは間違いで、イスラムの偉大な医者であり天文学者であったラーゼスの著書では、9世紀には≪ブン≫と呼ばれた木から採れる果実で作った飲み物で≪ブンチョム≫と呼ばれていたのです

そんな不味い薬としての<ブンチョム>が、15世紀頃に東アフリカを旅したスーフィー派の僧侶ザブハーニーの目に留まり、祈祷時に使われる≪カフワ≫の一つとして用いられるようになったことがイスラム社会で広まる切っ掛けになりました。

その飲み物<ブンチョム>の原型は、今でもイエメンの人たちにコーヒーより好まれて飲まれるギシルだったのではないでしょうか。

そのギシルを作る果実材料が灼熱の砂漠地帯では腐りやすく、長旅をするスーフィー僧侶たちは苦肉の策で果実の種子を用いて、ギシルと似たような飲み物を造ることを試みたが失敗し、火の中に捨てた。 捨てた種子が焦げて、いい香りがすることから、もう一度黒焦げの種子を拾い上げ煮出してみるとこげ茶色の飲み物が出来上がった。

これこそが、コーヒーなのです。偶然に知った<新しいカフワ>としてのコーヒーなのです

そうやって、新しいカフワがイスラム各地のスーフィー僧侶たちに用いられていきますが、まだまだ、単に覚醒作用のある苦くて不味い薬としての飲み物でしかないのです。

そんなスーフィー派僧侶たちだけの飲用が長年続きますが、その飲み物が当時イスラム社会で最も賑わう都市カイロで豪商の手によって生まれ変わったのです。

交易でインドからもたらされた当時の人気食材である砂糖と出会って一変したのでしょう。なんとも魅惑的な香りがして、一口飲むと頭がスッキリし疲れもとれる甘い飲み物≪コーヒー≫の誕生です。

その琥珀色の甘いコーヒーが、アラブの豪商から当時の権力者であるスルタンなどに紹介されて、そこから一気に民衆にも飲まれてイスラム社会に広まり、更には交易でベニスの商人の手に委ねられキリスト教社会へと広まっていくのです。

このように整理して眺めてみると、コーヒーの語源も見えてきますが、その話しは明日しましょう。

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2007年5月15日 (火)

カフワは冷えた飲み物

現在私たちが飲んでいるコーヒーと同じものが、いつ頃どのような経過で飲まれるようになったのかの推論として、前回の記述でひとつの結論としました。そして前回は、次にコーヒーの語源を探ってみましょうと書いて終わったのですが、・・・・・

ところが、です。 この「コーヒーの伝播」を継続して読んでいただいてる方には、二転三転するようで申し訳ないのだが、改めて見直してみると、今回の推論にもいくつかの疑問点が出てきました。

その一つが、『カフワという薬用効果のある飲み物は、もしかしたら冷えた飲みモノだった』のではないかと私は考え始めたのです。

なぜなら、コーランの教えでは<熱い料理に息を吹きかけて食べることを禁じていた>ことを知ったからです。息には生命の息吹が宿ってると考えられ、熱いものを冷まそうとして息を吹きかけることは、身体の気を無駄に使うこととされたようです。

神秘教スーフィー派の僧侶に、最初にカフワとして用いられていたものは、今でもイエメンの男性には無くてはならないカートと呼ばれるものでした。 ある時にこのカートの代用品として、聖職者ザブハーニーが東アフリカへ宣教活動で出向いた際に見つけたブンが用いられるようになったわけですが、例え、煮出して作った液体だったとしても、その飲用はコーランの教えに従って、熱いままではなく、冷まして飲まれたと考えるのが自然です。

だとすると、前回及び前々回での仮説として、ブンが採れる南アラビアのアデン地区からメッカに旅立つスーフィー僧侶たちが≪ブンの種子≫を持ち歩いたとする、必然性はでてこなくなります。  なぜなら、冷まして作られたカフワを皮袋に入れて持ち歩けばすむことだし、そのほうが作る手間が省けて都合がよいはずだからです。

そのように推論していくと、「旅するスーフィー僧侶が、ブンの種子を焚き火に入れて偶然に香り豊かなコーヒーを見つけた」とする考えが成り立たなくなってきます。

スーフィー派の僧侶が、ブンの果実を使ってカフワとして作ったものは、今もイエメンで飲み物として人気の高いブンの果実の皮殻から作られるギシルに違いないのです。

現在でこそ、そのギシルは熱い飲み物で、更には美味しく飲むために、カルダモンやナツメグなどのスパイスと共に砂糖をたっぷり入れた飲み物となってますが、スーフィー派の僧侶達にとっては覚醒作用を求める秘薬としての飲み物だったのです。

ちなみに、現在のイエメンでは、私たちが飲むようなコーヒーをアラビアコーヒーとして≪ブン≫と呼び、イエメンコーヒーとしての皮殻を煮出した≪ギシル≫と二通り飲まれていますが、人気も価格もギシルのほうが高いようです

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2007年5月17日 (木)

ザブ・ハーニーが知った飲み物

コーヒーがイスタンブールにも広まり、多くのイスラム都市でも人気を博した16世紀の後半、今の私たちと同様に、初めてコーヒーを飲んだとされる「聖職者オマール物語」に疑問を持つ学者がいました。

その学者アル・ジャズィーリーは、コーヒー関連文献の真の先駆者で一世代前のアル・ガッファールの説を最も信頼できるものとして紹介しています。

その中で、アル・ガッファールは、「16世紀初頭、カイロに住んでいた頃に、イエメンで流行り始め、祈祷の間中眠らずにいられるようにとスーフィー僧侶が使っていたカフワという飲み物のことを初めて知った」と証言し、それを切っ掛けに詳しい調査を行って、コーヒーの紹介・普及に貢献したのが≪宣教活動で東アフリカに出かけたザブ・ハーニー≫だったと結論付けたとしている。

しかし、ザブ・ハーニーが東アフリカでコーヒーを知ったのなら、当時既に東アフリカでコーヒーの飲用がみられたということになる。

その点に疑問を持ったアル・ジャズィーリーは、独自の調査を行い、ザブ・ハーニーが知った飲み物は<カフタという木の葉からつくるカート>だったのではないかと新しい結論を導いた。

おそらく、アル・ジャズィーリーは、その時既にイエメンのスーフィー派僧侶たちが、カフワと称するカートを飲んでいたことを知らなかったのだろう。

そして、そのことを学んでる私には、ザブ・ハーニーが知った飲み物は<ブンの木の果実皮殻から煮出して作るモノ>で、カートと同じように覚醒作用があり、カフワとして飲用できる新しい飲み物を発見した話しだと分るのです。

つまり、ザブ・ハーニーの時代にカートが欠乏し、東アフリカで見つけたブンの果実を用いて新しいカフワを作り出し、広めたのが彼だったのです。

そして、何回も云うように、それは現在のコーヒーとは違って、紅茶のような皮殻を煮出してつくるギシルなのです。

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2007年5月23日 (水)

エチオピアのアリ族

昨日までの3日間「天涯の地に少年は育つ」という番組がハイビジョン番組で放映されていた。エチオピアとイエメン、そしてニューギニアで生活する少年3人のドキュメンタリー番組でした。

この3つの国では、共にコーヒー豆が主要な交易品として共通していたので、私としては何らかの情報が得られるかもしれないと楽しみにしていた。

しかし、三日間とも期待はずれで、特にコーヒー豆の栽培状況などを写す映像は流れなかったのだが、エチオピア編で興味深いことを見つけた。

エチオピアの主人公はイスラエル君という12歳の少年。
彼の一家はエチオピア南西部に住むアリ族で、主食となる≪エンセーテ≫というバナナの木に似た草を大切に育てている話しがメインテーマでした。

このエンセーテは、7-8年で5mにも育つバショウ科の多年草で、茎や根に含まれるデンプンを発酵させてパンのように焼いたり蒸したりして食べます。

この南西部の地域は、エチオピアの中でコーヒー豆が栽培される気候風土の場所でもあります。そのことを知ってる私は、エンセーテの育ってる周りに野生のコーヒーの木が生えてた映像を見逃しませんでした。

そして、夕食時の映像で、エンセーテ料理と共に、湯飲み茶碗のような小さな容器で何かを飲みながら食事してる風景が流れました。私はおもわず「あ!やはり、コーヒーを飲んでる」と考えたのです。しかし、ドキュメントのナレーションでは、コーヒーだとは断定しません。

そこで、私はネットで検索して調べてみました。

Ethiopiacoffeeseremony2 このアリ族の中には、壷などの土器を専門に製作する女性の職能集団が昔から存在しているそうです。その解説や土器の写真を見ると、コーヒーを淹れる際に使われるポット≪ジャバナ≫や豆を煎るときに使うフライパンのような土器≪ブナ・アクシャ≫について書かれているんです。

コーヒーの伝播話しを綴ってる私には、思いがけずの新発見で、もう、気持ちがわくわくしてくるのが抑えられないほどでした。

このアリ族の土器を製造する女性たちの話は、「どこで一番初めにコーヒーが飲まれ始めたのか」という問いに、大きな得点を上げたように思えます。

ところが、アリ族では「コーヒーの葉を煎じて飲む」習慣があり、この地域の人々が毎日何度も飲むという学術調査員のレポートも見つかったのです。

ん? コーヒー豆でなく、コーヒーの葉? う~ん・・・・。

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