メッカ事件とコーヒーの家
コーヒーの起源を探る上で欠かせない文献『コーヒーの正当性のために』の著者であるアブド・アル・カーディル・アル・ジャジーリーは、16世紀の初めにエジプトのカイロでスーフィーの僧侶たちが≪カフワ≫を飲んでいたことが確認されていると記している。このカフワが、若葉をかみ締めるカートはなくて、ブンの果実を使った飲み物だとしたら、それはギシルではなくコーヒーのはずだ。
17世紀になってコーヒーがヨーロッパに知れ渡り広まる過程をみても、その伝播に要する時間は急激だ。それと同様に、イスラム社会に於いても、その魅力が権力者や民衆に広まるのはアッという間のことだった、はずである。
スーフィーが黒くて苦いカフワを祈祷の際に飲んでいた。
そのカフワに、アラブの豪商が甘くて人気のある砂糖を入れて飲んでみたら、美味かった!その瞬間が、スーフィーのカフワが美味しい飲み物としてのコーヒーとして、イスラム社会に誕生したときだ。
豪商達はその新しい飲み物を王族や貴族にも薦め、アッという間に噂の飲み物となって広まっていった。そして、今度はスーフィーではなく商人の手によって、カイロからメッカへと逆方向に広まっていったのだろう。
巡礼者で賑わうメッカ。そのメッカにある宿屋や休憩場所の居酒屋風の食堂で、新しい飲み物のコーヒーが人気になって民衆に飲まれるようになった。
1511年、その噂を聞きつけたメッカの高官ハーイル・ベイ・ミマルは、幹部会を招集してその新しい飲み物コーヒー問題を討議させた。「コーヒーはコーランで禁止されてる炭と同じで禁止すべきである。」「いや、すべての植物は神によって人間の喜びのために創られたものであるから、基本的に認可されるべきだ。」 そしてそんな議論紛糾の末、コーヒーが人間の身体に害を与える飲み物かどうかの医学鑑定を行い、コーヒー弾圧を開始したのである。
ところが、その判定に不服のあるコーヒー鳩派の何人かがその議事録をカイロにいる上司のスルタンに送った。その時には、既にコーヒー愛飲家になっていたスルタンだから、直ちにこれを撤回し、弾圧指令を出したハーイル・ベイ・ミマルはその職を解かれた。
その後もメッカでは、公安・風紀を乱す恐れがあると裁判官からコーヒーハウスの営業を禁じられたり、カイロでも宗教狂信者による騒動などが起こって、コーヒーの支持者と反対者に分れ、コーヒーハウスが破壊されたりしたが、このような事件が起こるたびにプライベートな飲用を助長してきた。
そして、「トルコの世紀」とされる16世紀の半ばの1544年にイスタンブールで初めて「コーヒーの家」ができてから、わずかに10年後のスレイマン二世の治世下には、その数が600件余りとたちまちに増えたのです。
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