甘い飲み物コーヒーの誕生
ここまで「コーヒーの伝播」話しを読んでこられた方には、コーヒーノキの果実が、アフリカのアビシニアン高原で自生しているのが見つかり、その食用が現地の遊牧民などによって古くから行われていたのに、なぜ?16世紀になるまで、コーヒーが世界中に広まる切っ掛けが遅れたのだろうかという疑問の答えがお分かりいただけたでしょう。
今のエチオピアであるアフリカのアビシニアン高原は、紀元前には、南アラビア半島にあるイエメン地域と共にシバの女王に治められた国でした。
このシバ王国の女王は、エチオピア山地を下りエルサレムのソロモン王に嫁いで、古くから地中海諸国との交易を行っていたアフリカの中で唯一の国です。その国民はあまり豊かな暮らしではなかったが、誇り高く、独立心の強い人々で、その大部分が修道僧さながらの正統派キリスト教信者でもあったようです。
ですから、もしコーヒーが当時から魅力的な飲み物として存在していたなら、これほど遅れることなく、ギリシャ・ローマ時代を経て広く世界中に広まっていたでしょう。
それが可能とならなかったのは、コーヒーが嗜好品ではなかった。美味しい飲み物ではなく、薬として、コーヒーがもつカフェイン効果が重要視された不味いものだったからです。
いや、ここで≪コーヒー≫と称するのは間違いで、イスラムの偉大な医者であり天文学者であったラーゼスの著書では、9世紀には≪ブン≫と呼ばれた木から採れる果実で作った飲み物で≪ブンチョム≫と呼ばれていたのです。
そんな不味い薬としての<ブンチョム>が、15世紀頃に東アフリカを旅したスーフィー派の僧侶ザブハーニーの目に留まり、祈祷時に使われる≪カフワ≫の一つとして用いられるようになったことがイスラム社会で広まる切っ掛けになりました。
その飲み物<ブンチョム>の原型は、今でもイエメンの人たちにコーヒーより好まれて飲まれるギシルだったのではないでしょうか。
そのギシルを作る果実材料が灼熱の砂漠地帯では腐りやすく、長旅をするスーフィー僧侶たちは苦肉の策で果実の種子を用いて、ギシルと似たような飲み物を造ることを試みたが失敗し、火の中に捨てた。 捨てた種子が焦げて、いい香りがすることから、もう一度黒焦げの種子を拾い上げ煮出してみるとこげ茶色の飲み物が出来上がった。
これこそが、コーヒーなのです。偶然に知った<新しいカフワ>としてのコーヒーなのです。
そうやって、新しいカフワがイスラム各地のスーフィー僧侶たちに用いられていきますが、まだまだ、単に覚醒作用のある苦くて不味い薬としての飲み物でしかないのです。
そんなスーフィー派僧侶たちだけの飲用が長年続きますが、その飲み物が当時イスラム社会で最も賑わう都市カイロで豪商の手によって生まれ変わったのです。
交易でインドからもたらされた当時の人気食材である砂糖と出会って一変したのでしょう。なんとも魅惑的な香りがして、一口飲むと頭がスッキリし疲れもとれる甘い飲み物≪コーヒー≫の誕生です。
その琥珀色の甘いコーヒーが、アラブの豪商から当時の権力者であるスルタンなどに紹介されて、そこから一気に民衆にも飲まれてイスラム社会に広まり、更には交易でベニスの商人の手に委ねられキリスト教社会へと広まっていくのです。
このように整理して眺めてみると、コーヒーの語源も見えてきますが、その話しは明日しましょう。
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