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2007年5月 9日 (水)

メッカ事件とコーヒーの家

コーヒーの起源を探る上で欠かせない文献『コーヒーの正当性のために』の著者であるアブド・アル・カーディル・アル・ジャジーリーは、16世紀の初めにエジプトのカイロでスーフィーの僧侶たちが≪カフワ≫を飲んでいたことが確認されていると記している。このカフワが、若葉をかみ締めるカートはなくて、ブンの果実を使った飲み物だとしたら、それはギシルではなくコーヒーのはずだ。

17世紀になってコーヒーがヨーロッパに知れ渡り広まる過程をみても、その伝播に要する時間は急激だ。それと同様に、イスラム社会に於いても、その魅力が権力者や民衆に広まるのはアッという間のことだった、はずである。

スーフィーが黒くて苦いカフワを祈祷の際に飲んでいた。

そのカフワに、アラブの豪商が甘くて人気のある砂糖を入れて飲んでみたら、美味かった!その瞬間が、スーフィーのカフワが美味しい飲み物としてのコーヒーとして、イスラム社会に誕生したときだ。

豪商達はその新しい飲み物を王族や貴族にも薦め、アッという間に噂の飲み物となって広まっていった。そして、今度はスーフィーではなく商人の手によって、カイロからメッカへと逆方向に広まっていったのだろう。

巡礼者で賑わうメッカ。そのメッカにある宿屋や休憩場所の居酒屋風の食堂で、新しい飲み物のコーヒーが人気になって民衆に飲まれるようになった。

1511年、その噂を聞きつけたメッカの高官ハーイル・ベイ・ミマルは、幹部会を招集してその新しい飲み物コーヒー問題を討議させた。「コーヒーはコーランで禁止されてる炭と同じで禁止すべきである。」「いや、すべての植物は神によって人間の喜びのために創られたものであるから、基本的に認可されるべきだ。」 そしてそんな議論紛糾の末、コーヒーが人間の身体に害を与える飲み物かどうかの医学鑑定を行い、コーヒー弾圧を開始したのである。

ところが、その判定に不服のあるコーヒー鳩派の何人かがその議事録をカイロにいる上司のスルタンに送った。その時には、既にコーヒー愛飲家になっていたスルタンだから、直ちにこれを撤回し、弾圧指令を出したハーイル・ベイ・ミマルはその職を解かれた。

その後もメッカでは、公安・風紀を乱す恐れがあると裁判官からコーヒーハウスの営業を禁じられたり、カイロでも宗教狂信者による騒動などが起こって、コーヒーの支持者と反対者に分れ、コーヒーハウスが破壊されたりしたが、このような事件が起こるたびにプライベートな飲用を助長してきた。

そして、「トルコの世紀」とされる16世紀の半ばの1544年にイスタンブールで初めて「コーヒーの家」ができてから、わずかに10年後のスレイマン二世の治世下には、その数が600件余りとたちまちに増えたのです。

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2007年5月11日 (金)

甘い飲み物コーヒーの誕生

ここまで「コーヒーの伝播」話しを読んでこられた方には、コーヒーノキの果実が、アフリカのアビシニアン高原で自生しているのが見つかり、その食用が現地の遊牧民などによって古くから行われていたのに、なぜ?16世紀になるまで、コーヒーが世界中に広まる切っ掛けが遅れたのだろうかという疑問の答えがお分かりいただけたでしょう。

今のエチオピアであるアフリカのアビシニアン高原は、紀元前には、南アラビア半島にあるイエメン地域と共にシバの女王に治められた国でした。

このシバ王国の女王は、エチオピア山地を下りエルサレムのソロモン王に嫁いで、古くから地中海諸国との交易を行っていたアフリカの中で唯一の国です。その国民はあまり豊かな暮らしではなかったが、誇り高く、独立心の強い人々で、その大部分が修道僧さながらの正統派キリスト教信者でもあったようです。

ですから、もしコーヒーが当時から魅力的な飲み物として存在していたなら、これほど遅れることなく、ギリシャ・ローマ時代を経て広く世界中に広まっていたでしょう。

それが可能とならなかったのは、コーヒーが嗜好品ではなかった。美味しい飲み物ではなく、薬として、コーヒーがもつカフェイン効果が重要視された不味いものだったからです。

いや、ここで≪コーヒー≫と称するのは間違いで、イスラムの偉大な医者であり天文学者であったラーゼスの著書では、9世紀には≪ブン≫と呼ばれた木から採れる果実で作った飲み物で≪ブンチョム≫と呼ばれていたのです

そんな不味い薬としての<ブンチョム>が、15世紀頃に東アフリカを旅したスーフィー派の僧侶ザブハーニーの目に留まり、祈祷時に使われる≪カフワ≫の一つとして用いられるようになったことがイスラム社会で広まる切っ掛けになりました。

その飲み物<ブンチョム>の原型は、今でもイエメンの人たちにコーヒーより好まれて飲まれるギシルだったのではないでしょうか。

そのギシルを作る果実材料が灼熱の砂漠地帯では腐りやすく、長旅をするスーフィー僧侶たちは苦肉の策で果実の種子を用いて、ギシルと似たような飲み物を造ることを試みたが失敗し、火の中に捨てた。 捨てた種子が焦げて、いい香りがすることから、もう一度黒焦げの種子を拾い上げ煮出してみるとこげ茶色の飲み物が出来上がった。

これこそが、コーヒーなのです。偶然に知った<新しいカフワ>としてのコーヒーなのです

そうやって、新しいカフワがイスラム各地のスーフィー僧侶たちに用いられていきますが、まだまだ、単に覚醒作用のある苦くて不味い薬としての飲み物でしかないのです。

そんなスーフィー派僧侶たちだけの飲用が長年続きますが、その飲み物が当時イスラム社会で最も賑わう都市カイロで豪商の手によって生まれ変わったのです。

交易でインドからもたらされた当時の人気食材である砂糖と出会って一変したのでしょう。なんとも魅惑的な香りがして、一口飲むと頭がスッキリし疲れもとれる甘い飲み物≪コーヒー≫の誕生です。

その琥珀色の甘いコーヒーが、アラブの豪商から当時の権力者であるスルタンなどに紹介されて、そこから一気に民衆にも飲まれてイスラム社会に広まり、更には交易でベニスの商人の手に委ねられキリスト教社会へと広まっていくのです。

このように整理して眺めてみると、コーヒーの語源も見えてきますが、その話しは明日しましょう。

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2007年5月15日 (火)

カフワは冷えた飲み物

現在私たちが飲んでいるコーヒーと同じものが、いつ頃どのような経過で飲まれるようになったのかの推論として、前回の記述でひとつの結論としました。そして前回は、次にコーヒーの語源を探ってみましょうと書いて終わったのですが、・・・・・

ところが、です。 この「コーヒーの伝播」を継続して読んでいただいてる方には、二転三転するようで申し訳ないのだが、改めて見直してみると、今回の推論にもいくつかの疑問点が出てきました。

その一つが、『カフワという薬用効果のある飲み物は、もしかしたら冷えた飲みモノだった』のではないかと私は考え始めたのです。

なぜなら、コーランの教えでは<熱い料理に息を吹きかけて食べることを禁じていた>ことを知ったからです。息には生命の息吹が宿ってると考えられ、熱いものを冷まそうとして息を吹きかけることは、身体の気を無駄に使うこととされたようです。

神秘教スーフィー派の僧侶に、最初にカフワとして用いられていたものは、今でもイエメンの男性には無くてはならないカートと呼ばれるものでした。 ある時にこのカートの代用品として、聖職者ザブハーニーが東アフリカへ宣教活動で出向いた際に見つけたブンが用いられるようになったわけですが、例え、煮出して作った液体だったとしても、その飲用はコーランの教えに従って、熱いままではなく、冷まして飲まれたと考えるのが自然です。

だとすると、前回及び前々回での仮説として、ブンが採れる南アラビアのアデン地区からメッカに旅立つスーフィー僧侶たちが≪ブンの種子≫を持ち歩いたとする、必然性はでてこなくなります。  なぜなら、冷まして作られたカフワを皮袋に入れて持ち歩けばすむことだし、そのほうが作る手間が省けて都合がよいはずだからです。

そのように推論していくと、「旅するスーフィー僧侶が、ブンの種子を焚き火に入れて偶然に香り豊かなコーヒーを見つけた」とする考えが成り立たなくなってきます。

スーフィー派の僧侶が、ブンの果実を使ってカフワとして作ったものは、今もイエメンで飲み物として人気の高いブンの果実の皮殻から作られるギシルに違いないのです。

現在でこそ、そのギシルは熱い飲み物で、更には美味しく飲むために、カルダモンやナツメグなどのスパイスと共に砂糖をたっぷり入れた飲み物となってますが、スーフィー派の僧侶達にとっては覚醒作用を求める秘薬としての飲み物だったのです。

ちなみに、現在のイエメンでは、私たちが飲むようなコーヒーをアラビアコーヒーとして≪ブン≫と呼び、イエメンコーヒーとしての皮殻を煮出した≪ギシル≫と二通り飲まれていますが、人気も価格もギシルのほうが高いようです

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2007年5月17日 (木)

ザブ・ハーニーが知った飲み物

コーヒーがイスタンブールにも広まり、多くのイスラム都市でも人気を博した16世紀の後半、今の私たちと同様に、初めてコーヒーを飲んだとされる「聖職者オマール物語」に疑問を持つ学者がいました。

その学者アル・ジャズィーリーは、コーヒー関連文献の真の先駆者で一世代前のアル・ガッファールの説を最も信頼できるものとして紹介しています。

その中で、アル・ガッファールは、「16世紀初頭、カイロに住んでいた頃に、イエメンで流行り始め、祈祷の間中眠らずにいられるようにとスーフィー僧侶が使っていたカフワという飲み物のことを初めて知った」と証言し、それを切っ掛けに詳しい調査を行って、コーヒーの紹介・普及に貢献したのが≪宣教活動で東アフリカに出かけたザブ・ハーニー≫だったと結論付けたとしている。

しかし、ザブ・ハーニーが東アフリカでコーヒーを知ったのなら、当時既に東アフリカでコーヒーの飲用がみられたということになる。

その点に疑問を持ったアル・ジャズィーリーは、独自の調査を行い、ザブ・ハーニーが知った飲み物は<カフタという木の葉からつくるカート>だったのではないかと新しい結論を導いた。

おそらく、アル・ジャズィーリーは、その時既にイエメンのスーフィー派僧侶たちが、カフワと称するカートを飲んでいたことを知らなかったのだろう。

そして、そのことを学んでる私には、ザブ・ハーニーが知った飲み物は<ブンの木の果実皮殻から煮出して作るモノ>で、カートと同じように覚醒作用があり、カフワとして飲用できる新しい飲み物を発見した話しだと分るのです。

つまり、ザブ・ハーニーの時代にカートが欠乏し、東アフリカで見つけたブンの果実を用いて新しいカフワを作り出し、広めたのが彼だったのです。

そして、何回も云うように、それは現在のコーヒーとは違って、紅茶のような皮殻を煮出してつくるギシルなのです。

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2007年5月18日 (金)

なぜデカフェは種類が少ないか。

当店で販売してるデカフェ・コーヒーは、お試しいただいたお客様から大変ご好評を頂いています。初めて飲んだ方のほとんど全員といっていいほどが、「ビックリしました。期待はしていなかったのですが、これほど美味しいデカフェコーヒーは初めてです♪」とお礼のメールを頂きます。

それもほぼ100%のカフェイン除去率ですから、身体的病状から、完全にカフェインをシャットアウトしなければならないお客様にも喜んでいただけてることが嬉しいことです。

『じつは私は、抹茶ケーキをほんの一口たべただけも、中に含まれるカフェインの影響で身体が震えるほどの重度のカフェイン症状を持っていますが、こちらのデカフェ・コーヒーはいつ飲んでもまったく問題の症状が出ることなく楽しませてもらっています。ほんとうに有難うございます。』

ところが、そんな風に皆さんに喜ばれてるデカフェ・コーヒーですが、一つだけ問題といいますか、ご要望に応えられないことがあります。

『デカフェ・コロンビアだけでなく、もっと他の銘柄もあると嬉しいのですが・・・・』

カフェインを気にすることなく、美味しく飲めるとなれば、当然ながらそんなご要望も出てきて、ご注文の際にコメントをいただきます。ですが、残念ながら、そのご要望にはどうやっても応えられない現状があります。

といいますのは、・・・・・・・

日本でデカフェコーヒーを販売してます取扱店では、その除去率が高い商品のほとんどが「コロンビア産の豆」のデカフェです。当店で扱うデカフェ・コーヒーはコロンビア産の豆ですが、そのデカフェ処理はイタリアの薬品化学会社で行われます。

つまり、カフェインレスのコーヒー豆を製造することが目的ではなく、薬品などとして使われるカフェインを取り出す一環としてコーヒー豆が使われて、私たちコーヒー豆屋はその残物といってはなんですが、副産物のカフェインを除去されて残ったコーヒー豆を輸入して焙煎販売してるという業界構造になっております。

このカフェインを取り出す薬品化学会社は、どうやら日本には存在せず、またコーヒー豆屋を販売先として、その製造設備を作ろうにも需給バランスとして採算の合わない事業だと考えられます。

従って、生産量が世界の1-2位を争うコロンビア産のコーヒー豆がカフェインの抽出材料として使われ、安定供給や価格の面でそれ以外の銘柄は使われないという実情があります。

そんな訳で、とても香味が優れていてカフェインレスのコーヒーとは思えないと絶賛を頂く当店のデカフェ・コロンビアですが、他の銘柄に及んで取り扱いが出来ないことをご理解ください。

またもし、この記事をご覧頂いてる読者の貴方様が、カフェインで悩んでいるコーヒーファンでしたら、ぜひ一度お試しください。

 販売コーナー ⇒ http://www.beans510.com/shop/decafe.htm

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2007年5月23日 (水)

エチオピアのアリ族

昨日までの3日間「天涯の地に少年は育つ」という番組がハイビジョン番組で放映されていた。エチオピアとイエメン、そしてニューギニアで生活する少年3人のドキュメンタリー番組でした。

この3つの国では、共にコーヒー豆が主要な交易品として共通していたので、私としては何らかの情報が得られるかもしれないと楽しみにしていた。

しかし、三日間とも期待はずれで、特にコーヒー豆の栽培状況などを写す映像は流れなかったのだが、エチオピア編で興味深いことを見つけた。

エチオピアの主人公はイスラエル君という12歳の少年。
彼の一家はエチオピア南西部に住むアリ族で、主食となる≪エンセーテ≫というバナナの木に似た草を大切に育てている話しがメインテーマでした。

このエンセーテは、7-8年で5mにも育つバショウ科の多年草で、茎や根に含まれるデンプンを発酵させてパンのように焼いたり蒸したりして食べます。

この南西部の地域は、エチオピアの中でコーヒー豆が栽培される気候風土の場所でもあります。そのことを知ってる私は、エンセーテの育ってる周りに野生のコーヒーの木が生えてた映像を見逃しませんでした。

そして、夕食時の映像で、エンセーテ料理と共に、湯飲み茶碗のような小さな容器で何かを飲みながら食事してる風景が流れました。私はおもわず「あ!やはり、コーヒーを飲んでる」と考えたのです。しかし、ドキュメントのナレーションでは、コーヒーだとは断定しません。

そこで、私はネットで検索して調べてみました。

Ethiopiacoffeeseremony2 このアリ族の中には、壷などの土器を専門に製作する女性の職能集団が昔から存在しているそうです。その解説や土器の写真を見ると、コーヒーを淹れる際に使われるポット≪ジャバナ≫や豆を煎るときに使うフライパンのような土器≪ブナ・アクシャ≫について書かれているんです。

コーヒーの伝播話しを綴ってる私には、思いがけずの新発見で、もう、気持ちがわくわくしてくるのが抑えられないほどでした。

このアリ族の土器を製造する女性たちの話は、「どこで一番初めにコーヒーが飲まれ始めたのか」という問いに、大きな得点を上げたように思えます。

ところが、アリ族では「コーヒーの葉を煎じて飲む」習慣があり、この地域の人々が毎日何度も飲むという学術調査員のレポートも見つかったのです。

ん? コーヒー豆でなく、コーヒーの葉? う~ん・・・・。

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