イエメンで飲まれるギシル
マーク・ペンダーグラスト著『コーヒーの歴史』の中で、6世紀にアクスム王国(現エチオピア)がイエメン地域に侵攻していた時にコーヒーノキが移植されたと書かれてました。
確かにこの6世紀は、キリスト教の東ローマ帝国とササン朝ペルシアとがせめぎ合っていました。東ローマ帝国はアフリカ側をナイル川を遡って、同じキリスト教徒国のアクスム王国の兵と共に、紅海を挟んでアラビア半島を侵攻してきたペルシアと戦った時期がありました。
アクスム王国の東アフリカ地域は、長い間主食となるモノは特になく雑食地域です。従って、コーヒーの果実を種ごとすりつぶして動物の油を混ぜて作った携帯食は、元気になるカフェイン効果と共に戦闘には欠かせないモノだったと想像できます。だとするならば、その食料の元であるコーヒーノキをイエメン地域での攻防の際に移植したと考えてもいいのではないかと思えます。
このイエメンでは、コーヒーの発祥地と言われるエチオピアのアビシニアン高原と同じ様な気候環境の山岳地帯があります。そして古代シバ王国の時代から、アラビア半島のパラダイスと言われるほどに緑の多い地域でもあったのです。
その後、アクスム王国は撤退したのですが、300年後にイスラムの偉大な医者であり天文学者であったラーゼス(852頃~932頃)が医学書『アル=ハーウィー』のなかでブン(コーヒーノキ)から得る果実とその飲料についての効用を述べてるのです。
そのことからコーヒーノキは野生化して忘れ去られることなく、イエメンで利用されていたと考えられます。ただし、その利用は一部の聖職者間でしか使われてませんでした。そして私達が飲んでます煎り豆飲料ではなく、生豆飲料だったのです。
以下も私の想像ですが・・・・
昔の人が初めてコーヒーノキの果実を口にするとき、最初はどうやって食べると思いますか。
赤く熟したサクランボのようなコーヒーの実の話ですから、最初は当然ながらそのまま口に含んでガブリっと果肉を味わったと思います。
ところが、コーヒーの果実はサクランボよりも果肉が少なめですから、甘みはあって美味しいけど、なんとなく物足りない。
でも、そのコーヒーの実を食べるとみんな何となく元気になることを知ったので、残った種もなんとかもう少し他の方法で利用できないかと考えた。
そこで考えたのが、種の利用法として、果肉を皮ごと食べると、残った種の周りにはヌルヌルとゼリー状の粘着物が付いていた。
その部分が勿体ないと考えて、中の種を取り出して、ゼリー状の粘着物が付いた殻部分を干して、煮出して飲んでみた。
その飲み物が、今日でもイエメンで飲まれてる『ギシル』というものなんですね。
このギシルは、トルコ式コーヒーが伝わった後からなんと現在まで、イエメンではずーっとトルコ式コーヒーよりも人気のある飲み物なんです。 外殻を使うから安いのではないかと思うでしょうが、一杯の値段はトルコ式コーヒーと同じようです。
『ギシル』の写真を見つけましたので、サイトの制作者に了解をえて掲載しましたのでご覧ください。写真左側の飲み物は紅茶のチャイですが、イエメンではシャイと言うようです。で、右側の色の薄い飲み物がギシルです。両方とも砂糖をたっぷり入れて飲むようですが、イエメンの乾燥した気候ではその極甘な味が合うようです。
ではまた、次回をお楽しみに。
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